The way to Rice Paddy Administrator

サラリーマンが、週末活動で、無農薬、無肥料の田んぼを作る実験記録です。

2014年11月 鶴渕さんとの出会い。

2014年11月24日 勤労感謝の日 いすみ市の鶴渕家にお邪魔して、こたつに入りながら、熱心に話している3人がいた。鶴渕さん夫妻と僕である。
 
デンマークから帰ってきた後、何か出来ないかという気持ちだけあったが、具体的な行動は起こせずに居た。
サスティナブルスクールの人達には、田んぼをやりたい話をしていて、もしやれたら手伝うという返事をもらうと、勇気をもらえたような気がして、余計に気持ちがあせっていた。
 
 
11月16日 竃(かまど)を手作りするというイベントいすみ市の光風林という建築家主催のイベントがあり、エネルギーの自給に関係するので、参加しました。
そこで、無農薬、無肥料で米を作っているという鶴渕さんという方がいました。
奥さんで、妊娠していながらの参加でした。
僕は試しに「都会に住みながら、無農薬、無肥料で米を作りたいと考えているけどどうでしょうか?」
と聞いてみたら、すぐに「主人が都会の人が 田んぼのオーナーになってサポートする仕組みを考えているんです」という話があり、来週 サスティナブルスクール最後の収穫祭が24日にあるので、それが終わってから、主人に会いたいという事になりました。
 
11月24日
収穫祭当日
ポットラック形式という一人一品の食事を用意する形式のパーティだったが、
前日、久し振りのフルマラソン出場(筑波マラソン)し、会社の人と夜中まで茨城の筑波で飲んだので、
とても作る余裕が無く、用意出来ない人は一芸と言われて、
ギターを持って行き、オーガニックなその季節、土地に合った歌を歌った。
その後、鶴渕家に行きました。
 
夕方ですが、もう日が暮れた夜にギターを抱えて現れた僕を、鶴渕さんは後で
スナフキンがやってきたのかと思った」と話してくれました。
 
こたつに入りながら、耕作放棄地の田んぼを蘇らせたい。無農薬、無肥料でやりたい。
岩澤さんの本みたいに出来ればという話をしていった所、
鶴渕さんの旦那さんは、何と、岩澤さんが、お亡くなりになる最後の年に、岩澤さんの農業を教わった人でした。
僕が愛読していた「究極の田んぼ」は、サイン入りで持ってました。
鶴渕さんは、田んぼは地元の結びつきが大事。
水なども共同で管理している。田んぼは、作物の世話は毎日は入らないかも知れないが、水の管理は必要。モグラなどが穴を開けてあぜから水が漏れると水が減る。水が減ったら旗を立てて、水当番の人が水を入れる手配をしてくれる。
また地域全体の行事がある時は出るなど、地域に溶け込める人で無いと難しい面がある。
しかし年々、耕作する人が少なくなり、耕作放棄地が増えてくる。
このいすみの田んぼのある良い風景が失われてしまうかも知れない。
何とか人を呼び込んで、田んぼを維持する方策が無いか考えていたそうです。
既に耕作放棄されて、枯れ草が生い茂っている所も、火がつくと火事になったり、心配な面もあるので、他所の人をうまく入れる仕組みを考えていた。
田んぼを借りる契約は、鶴渕さんが行い、収穫オーナー制度を作り、メイン作業は収穫オーナー、水の管理などは、鶴渕さんなど地元の人が行うような制度です。
 
それでは、その第一号の試験体として僕がなりましょう。
何しろ、話しが合う、チャレンジャーの鶴渕さんみたいな人と会った事が感動です。
岩澤さんの最後の弟子でもあり、無農薬、無肥料の経験者でもあります。
今回は、実験としてやっていくつもりで行いたい。
また、都会からの実施者としての視点で、2015年がどうだったかを発信したい。
もし、うまくいったら、それを伝える手助けはしていきます。
という僕の話に対して
 
鶴渕さんの旦那さんは、
教える、教えられるの立場で無く、共同で考えていくというパートナーとしてやっていきましょう。
実験を楽しみましょう。
 
と言ってくれました。
 
鶴渕さんの奥さんも とても喜んでいて、この二人に会えた事を感謝します。
 
後日談
その後、鶴渕さんが、自然栽培という雑誌で紹介されて、そのインタビューに 合気道をやっていると書いてありました。
僕も合気道をやっていましたが、鶴渕さんの旦那さん、奥さんともに、僕よりも上級者であります。
同じ系列の合気会みたいで、毎年ある日本武道館の演武会には出ていたみたいなので、とても近いものを感じました。合気道で話せる人が中々いなかったので、そちらも楽しみであります。